忍者ブログ

今日もアートスクール

京都アートスクールの4校(京都駅前七条校、京都 北大路駅前校、滋賀 彦根駅前校、NET通信実技センター)の日々を随時更新。
05 February

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

24 October

北山 動物立体課題 講評の日

 こんにちは。北山教室のマシヤマです。

突然ですが、皆さんはどんな動物が好きですか?
私は馬が一番です。
犬も好きです。(そう言っておかないと実家の愛犬がスネてしまいますので一応言っておきます……。)

馬を好きな理由を羅列しようと思えばいろいろと挙げられますが、なんと言っても『美しい』 この一点に尽きます。
馬と一言で言っても、実は様々な種類がいます。大型のペルシュロン種や日本古来の道産子など。中でも一番美しいのは、やはりサラブレッド種でしょう。

サラブレッドは人間が改良を加えて作り出した種類なので、生きた芸術と考える人もいます。
日本に本格的にサラブレッドが来たのは徳川 家茂(14代将軍)の時代。ということは「暴れん坊将軍」=徳川吉宗(8代将軍)が海辺を走らせている白いサラブレッドは『ウソ』ということになりますね!

馬の話はこれくらいにして、本日の北山STSP生の立体の話に移ります。
今日は、先週の動物園実習を踏まえての立体課題の講評がありました。

今年は迫力のある作品が多かった印象。シンプルに再構成した形が魅力的な作品も沢山ありました。
本物の動物を間近で見たからこそ作り出すことが出来る形があり、それを講評でまた見るのが楽しい。
次回のアスクギャラリーで作品をいくつか紹介できると思いますので、お楽しみに!

最後におまけの作品(動物の立体つながりで)

SAYAKA GANZというアーティストの作品。
みっちり作りこまない間の部分に躍動感を感じ、とても惹かれます。

この世の中は常に動いています。人も物も地球も宇宙も……。
芸術作品のほとんどが『移りゆく現象を作品の中にとどめる行為』のような気がします。

<マシヤマ>

拍手[0回]

PR
23 October

センター試験まで あと88日・・・

こんにちは。中西です。
とうとうセンター試験まであと90日をきりました!!
全統センター試験プレテストまでは1ヶ月ほどしかありません・・・
万全の体制で臨めるよう、今のうちからペースを上げていきましょう。


<ちょこっと英語教室>
“Would you tell me, please, which way I ought to go from here?"
"That depends a good deal on where you want to get to."
"I don't much care where –"
"Then it doesn't matter which way you go.”
Lewis Carroll, Alice in Wonderland
「ここからどの道を行けばいいか、教えてもらいたいのだけれど」
「それは君がどこへ行きたいかによるよ」とネコは答えた。
「どこだっていいのですけれど」
「それなら、どの道だって構わないんじゃないか」

これは不思議の国のアリスの、アリスとチェシャ猫の会話です。
道に迷ったアリスがチェシャ猫にどの道を行けばいいのか尋ねる場面なのですが、

この場面が、迷える受験生と重なるのは私だけでしょうか!!

目標をしっかりと持っていなければ、何をしたって成長には繋がりにくいものです。
自分が目指す場所、到着地点をしっかりと意識しながら学んで下さい!



おまけに

芸術と文学は深く関わっています。
不思議の国のアリスも芸術作品の一つです。
アリスを名作にするにおいて一役買ったのがジョン・テニエルによる挿絵。
現在までに多くの画家がアリスを書いていますが、
未だにテニエルの挿絵が一番だと言われています。


アリスの独特な世界観が表れていますね。

ちなみにルイス・キャロル自身も挿絵を書いています。


む・・・
これまた独特な・・・
テニエルが挿絵を描いてくれたことに感謝します(笑)


<ナカニシ>

拍手[0回]

20 October

ほととぎす

昨年の震災直後、日本はどうなるのだろうという悲壮感が色濃かった時のことです。
昼下がり点けていたラジオから突然、それはそれは美しい歌謡曲が流れてきました。
レキシという歌手の唄でした。 彼のアルバムに、『ほととぎす feat. 聖徳ふとこ』という曲があります。
ほととぎすを女性擬人化し、ほととぎす目線で歴代の戦国武将のことを、歴史情緒豊かに異性としての想いを切なく歌っています。


嗚呼、切ない。

一方、ASKにも凛々しいお顔立ちで話題沸騰!一部熱狂的生徒らから信長様と慕われている非常勤の先生がいます。
そう、北山勤務の片岡先生でございます。僕も先生のことが好きであります。




よく耳にする、

『なかぬなら 殺してしまへ 時鳥(ほととぎす)』 織田信長

この句は、信長本人が詠んだ句でなく、単に第三者が彼の気質を言い表した句なのだそうです。
他にも歴史人物の天下人を形容する句があります。

『鳴かずとも なかして見せふ 杜鵑(ほととぎす)』 豊臣秀吉
『なかぬなら 鳴まで待よ 郭公(ほととぎす)』 徳川家康



指導にもじってみました。



『描けぬなら 破いてしまえ この課題』

『描けぬなら 描かしてみせよう この課題』

『描けぬなら 描くまで待とう この課題』



こう当てはめてみると、それぞれに見える風景があります。


『描けぬなら 破いてしまえ この課題』
これはいけません。一枚の課題にかける情熱は買いますが、破いてしまっては指導になりません。とは言え、昔はこういう感じだったのかしら・・・
ASKにおいて信長気質は、あまり出番はなさそうですね。信長は、片岡先生がお持ちの雰囲気だけにしようそうしよう。


『描けぬなら 描かしてみせよう この課題』
これは、先生方の腕にかかってます。あれやこれやと色々な切り口で描かせてみせるアプローチ。また口頭で指導するだけでなく、実際にやってみせることが非常に重要です。
ASKにおいて秀吉気質はとても大事かもしれません。これは皆さん当てはまると思われ・・・


『描けぬなら 描くまで待とう この課題』
これは、長い目で成長をみるといったところでしょうか。大局を見据え、機を待つといったところです。
ASKにおいて家康気質も先生方に必要な要素だと思います。これはあの先生かな…それとも事務の人かな・・・


なるほどなるほど。
秋の夜長、戦国武将に萌えてみる。そこには素敵な世界がありました。
先生はみんなにとって今は友達という立場じゃないけれど、昔から、考えの違う人とほど友人になれともうします。
どうです?将来先生と友達になりませぬか?
そもそもASKには、多様な先生とスタッフが居らっしゃいます。そしてみな生徒のために日々奮闘しています。






足軽田和も奮闘中


ISM

拍手[0回]

18 October

特講ざかり


 
 
   


 ムサタマトークに出演してもらった、
 多摩美術大学の広報 米山さんのブログにこんな言葉が。
 
 (中略)受験生も今を大切にしてほしい。
  スキルを身につけるには時間がかかる。
  スキルがなければ伝えたいものが伝わらない。
  それが美大だ。

 
 かっこいい…(笑)


 本日北山にいます、サイトウです。
 久しぶりに北山高卒生の立体授業に入りましたが、
 独創的な形を試行錯誤できていてびっくり。
 すごく成長してますね。
 
 今の時期、私立芸大推薦入試の対策講座や、
 国公立の対策講座が各教室で実施されていますが、
 本当にこの時期の伸びはすごいと思います。
 
 試験が近く、意識が高くなっているのと、
 同じ科目を毎日繰り返し練習できるということで、
 ぐんぐん作品が改善されていきます。
 繰り返すことで無駄が省かれ、
 本質が何かがつかめて、
 洗練されていくっていう状態なんだと思います。

 でも、
 「○○大学の入試作例を見てると、こういう傾向が多いから」とか 
 「なんとなく」とか
 「先生が前こういうのがいいって言ってたから…」
 時々作品の意図をきくとこんな理由がかえってきます。
 慣れてないうちはしょうがない部分もあるけれど、
 批判性も、自分の勇気ある判断もない迎合は、
 「芸術」の本質と最も遠いところにあるように思います。 
 自分の思考が浅いとき、それはハズカシイと感じたほうがいい。
 恥をかくのは悪くない。
 でも恥の自覚がないのは立ちが悪い。
 自分のみえる範囲でものさしを固定してしまってて、
 人の話の可能性に耳と脳みそが開いていない。

 もっと「なんで」「なんで」「なんで」「なんで」って繰り返して。
 甘えんぼな自覚のある人は、すぐに他人に答えを聞かず、
 ふんばって自分で答えを考えて。自分で調べて。
 
 はぁ、結局自分自身に言っているようにも思います…
 20代になっても勉強であります…
 がんばろう。
 

  
 おまけ。手作り骸骨ピアス。立体の授業終わりにできあがっていた。
 
 <サイトウ>

拍手[0回]

17 October

あたまの向き

ある日、いつものように草津教室の立体駐車場『3-2』番に、車を停めようと思ったら、ほかの車が停まっていました。
今日は誰かが間違えたのだろうと、たかをくくっていたら、次も同じやつが停まっている。
次も次もその次も停まっていて、早一ヶ月。
さすがに業を煮やして、できるだけ不快な表情をつくって大家さんに直訴したらば、
「あんたんとこは『3-2』じゃなくて『2-3』だよ」と面倒くさそうに言われました。
自分が間違えてました。 一年あまりの間。
いままでたまたま『3-2』に契約者がいなかっただけでして。
どこでどうねじれたのか僕の中で『2-3』が『3-2』になっていたのです。
ふつふつ湧き上がる羞恥と憤り。僕は思いました。
数字で『3-2』だ『2-3』だとするから紛らわしいのであって、いっそ『ウサギちゃん』とか『カバくん』とか『クマさん』だとかにすれば間違えようがないのにと、なら僕はたくましくてやさしい『クマさん』がいい! などと強く思いました。
強く思いましたが、いやクマさんとかそういう話ではなくて、思い込みとは恐ろしいという話です。
例えば、なんでもいいから頭に思い浮かんだ「魚の絵」を描いてください。と言われたとします。
ちゃら描きでいいので、描いてみてください。

はい、たぶんほとんどの方の描いた魚は、頭が左に描かれていますよと。

←こちら七条ST生に描いてみてもらいました。六人中、一人を除いてみんな頭が左。

人間は普段色々な刷り込みにさらされているらしく、で、魚の場合であれば、魚屋の陳列、焼き魚の盛り、図鑑の絵など、お作法として頭が左向きになっている状況に我々は無意識で迎合していて、魚とはそういうものだと、そうでなければいかんと思い込んでいるらしい。
実際の魚は右も向きゃ下も向きゃ場合によっては仰向けにだってなるのにもかかわらずです。
これはある高校の先生にきいた話です。僕はきいたときゾッとしました。

人間なんてものが生きてる限り、こういった思い込みのアカは次から次へどんどんとこびりついてくるものなのでしょう。
しかし、このアカは美術・デザインを志向する者にとって、その面白さを阻害するものだと僕は考えています。
で、このアカをできるだけ落とす、というかアカのつきにくい身体にならんと予防する訓練のひとつが、デッサンだとも思っています。
いま一度。

観察:物事の状態や変化を客観的に注意深くみること     
    智慧によって対象を正しく見極めること     
    物事の様相をありのまま、詳しく見極め、そこにある様々な事情を知ること     
    何らかの目的のために、対象を詳細に見、そこから何かを導き出す行為

「正しく」だとか「客観的に」などのところがしごく重要なところであって、なかなかに難しいことでもあるのですが。

やばいな、いかんな、と思って少し教室に残ってデッサンなど久しぶりに励んだものです。
で、帰るとき、また『3-2』のスイッチを押している自分がいました。
まっこと恐ろしきは思い込み。



はやし

拍手[0回]