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今日もアートスクール

京都アートスクールの4校(京都駅前七条校、京都 北大路駅前校、滋賀 彦根駅前校、NET通信実技センター)の日々を随時更新。
23 November

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24 October

資料とのつきあい方

昨日の松野先生の写真の記事と関連し、今日は資料とのつきあい方について書きます。






ここ最近、現役生のクラスでは色彩の課題が続きました。色彩や立体の授業を見ていると、生徒があまり資料を活用していないことに機と気付きます。資料を準備してこない生徒もいます。果ては、その日の課題すら確認してこない生徒もいます。(どないなっとんねん)
その替わり彼らに「資料は?何か持ってきた?」と聞くと、スマホを取り出して「プリンタで印刷してください」という生徒が増えました。授業中、スマホの小さい画面を覗き込みながらそれを資料にしている生徒もいます。いつでもどこでも情報を取り出せる機器を携帯する時代になり、それを便利というのか怠慢になったというべきか、私にはまだ判りません。







(上下関係ありません)


先日STSP生らが行った動物園。まさに生の取材です。毎回取材がしっかりできれば文句はありませんが、なかなか時間も費用も許してくれません。しかし、生の情報はやはり新鮮で、他人の作為的なフィルターの掛かっていない生の情報です。彼らの立体作品には今までにない形が表れたのも、課外授業というインプットがあってこそ生まれたのではないか。


情報の集め方、資料の集め方にも色々と手段が増えたことは間違いないでしょう。かつては、片岡先生のように大手予備校のパンフレットや、紙上ギャラリーの参作を宝物のように眺めていたものです。(私もその口)
Am○onで検索すれば、本屋にわざわざ行かずとも、たいていお目当ての本は見つかります。ネット検索すれば、画像もたくさん出てきます。さてそれらを皆さんは巧く活用できているかということです。
“情報に振り回される現代人”なんて言葉を聞いて久しいですが、いちど振り回されてみるべきではないでしょうか。受験生にそんな時間はないのでしょうか。一度ぐるぐる振り回され、自分の立ち位置を探せばよいわけです。自分探しの旅と称してインドに行くよりも、よっぽど安全で手頃な自分探しではないでしょうか。
私は昔担当の先生から画集をよく借りました。私だけでなく、生徒一人一人に画集が渡されたのだと思います。見たことも聞いたこともない作家の画集をみて、生徒はそれをもとに日夜絵作りに取り組むわけです。表現にはインプットとアウトプットが欠かせない。よい物をインプットすること、私が出会った情報の善し悪しはどうなのかという精査が出来ることも、クリエイティブな仕事人になるための不可欠な力である言われ続けました。







先日も家で資料を漁っていると、ある一冊が眼に止まりました。
粟津 潔(2009没)というデザイナーの展覧会図録です。以前300円ほどで購入した古本ですが、久しぶりに見返しました。そしてその図録のあるページに、僕はえも言われぬ縁を感じてしまいました。

何がって?

だってあるページには、粟津が詩人役として“田園に死す/寺山修司1974”に登場しているシーンが載っていたのです。粟津と寺山との関係性に、寺山ファンの私は、30年以上の時間を経た今、ドキリとさせられた瞬間でした。



田和

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