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今日もアートスクール

京都アートスクールの4校(京都駅前七条校、京都 北大路駅前校、滋賀 彦根駅前校、NET通信実技センター)の日々を随時更新。
24 November

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10 August

夏のイライラ



先週の土曜、近所に住む旧友を5年ぶりに訪ねました。
彼とは中学3年の頃の同級生で、彼は親族で自動車販売店を経営しており、家族ぐるみ昔からよくお世話になってきた友人です。

そんな仲の彼とも、高校進学、受験やその後上京などで年々疎遠となり、気が付けば5年ぶりの再会と成った訳です。旧友と再会すると、毎回昔話になります。昔はこうだった、ああだったなどと、昔話に花が咲くとはこういう事だと、改めて思い知らされます。
今思うと馬鹿だなあと思えることを、彼と沢山してきたせいか、若かりし頃の自分の話を聴くことへの照れ臭さや、恥ずかしさも同時に感じます。
「あの頃は楽しかった、あの時は笑った」という友人の言葉に、彼が経験してきた寂しさのようなものを想像してみたりもするのです。そしてそんな想像をしてしまう自分も、嫌な自分になったなとも思います。背丈が高いのは相変わらず、陽に焼やけて皺が目立ち、髪が薄くなりだしたオヤジでしたが、互いの見た目が変わっても、あの当時の姿を見てしまう、なんとも不思議な感覚を味わった時間でした。


でも思うのです。あの頃が楽しかったのは、あの頃に今より楽しい何かが起こっていたのではなく、些細なことでも楽しめる自分らがいたからじゃないですか。
今でも話にでる位にあの時笑ったのは、あの時の自分が面白いことを言ったりしたのでなく、くだらないことでも笑える明るさを二人とも持っていたからじゃないですか。
夏だから辛いのではなく、暑いことが身体に堪えるから辛いのと同じで、仕事が上手くいかないからイライラしているのではなく、自分の思うとおりに表現できないことが自身をイラつかせている。それもこれも理想があるからではないかと思うのです。人が生き辛いのは、夢がある証拠だと思うのです。



受験生と話していると、生徒らのイラついた様子や、悔しい表情に生で・リアルに接することがあります。そんな表情を、きっとASKの先生方は見逃していません。苛立ちの先にある、理想に少しでも近づくための指導について、どう伝えれば伝わるのかと試行錯誤しています。



田和

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