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今日もアートスクール

京都アートスクールの4校(京都駅前七条校、京都 北大路駅前校、滋賀 彦根駅前校、NET通信実技センター)の日々を随時更新。
22 November

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14 September

芸術のこと。

 こんにちは。実技のサイトウです。

 夏の暑さがぶり返してますね。
 今日は女生徒が、秋の装いをしていて、
 「暑い。洋服買って、はしゃいでしまった。暑い。今日じゃなかった」
 と言っていました。洋服買ったらすぐ着たくなるよね。
 気持ち分かります。笑


 話し変わりますが、
 昨日、表現活動をしている先輩とメールでやりとりしていたんです。
 
 「核心に触れるということは『常識』から逸脱することだと思う」
 「表現者はみなそうあるべきだ」
 という話しになりました。
 
 私自身は広報やデザインを仕事としている立場として、
 「常識の範疇から外れた表現は魅力。でも最大公約数(常識)を読み取る力も表現には必要だと思います」
 と意見を出してみたり。

 それに対して、その方は、
 「万人に愛されるデザインや芸術はすばらしいと思うし、
 万人にうけなくても強烈に人をひきつけるデザインや芸術も同じようにすばらしいと思う」「でも実際、熱を持ってやっている人たちをみていると、突き詰めていくと規格外のところに行きついていると思う」
 と言っていました。

 メールが終わって、色々と考えていました。

 『常識から外れた表現』や『万人に愛される表現』など
 カテゴリーを選ぶ意識では、きっとなにものにもなれないんじゃないかなと。
 そんなカテゴリーはあとから他人がつけるもので、
 それを意識して表現をしようという時点で、
 作品から魂は抜けていっているのではないか。
 ただ対象に真剣に向き合ったときに、
 自分が発想したことや、感じたことだけが、時代や他人の心を切り開く可能性を秘めているんじゃないかなぁ。
 そしてその可能性をひめた表現を発想する「自分」を研鑽することが難しく、
 最も大事な芸術家の作業なのかなと思います。
 そのためには哲学も歴史も文学もあらゆる分野から学ばねばならない。
 
 こういうやりとりは、
 自分を律し、省みる作業なので、エネルギーがいるなぁと思います。
 疲れているとき、落ち込んでいるときなかなかそうはできない。
 でも、「芸術家」であるなら、そのエネルギーを絶えずもてるようにコントロールして生きる責任があるのだ…とも思います。
 だってしんどいもん…って自分で言っちゃえるような弱い理想は敗北していく(後世に残らない)だけなんだろうなと思ったり。趣味でおわる。
 
 「芸術家の役割は、世の中の美に対して責任を負うことだ」
 とだれかが言っていました。

 「勉強は苦手だから美術なら自分にもできそうだ」
 と楽な道として芸術をとらえている場合、
 それは本気で考えている人にとってはどれほどに無礼で、暴力的か。

 そういいつつも、趣味で芸術をしていく決意そのものはありだとも思う。
 自分の身体や精神を守ることは許されると思う。
 

 少し日常に必死で、こういうことを改めてぐっと考える時間が久しぶりでした。
 いつも頭のかたすみにはあるんですが。
 
 みんなどんなこと考えてるかな。
 受験を超えたら、本当の海原が待っている!よ。
 それはしんどいけど自由で、厳しいけど面白い世界だと思います。

 みんなには、理想を持った人になってほしいし、
 理想をごまかさない人であってほしいと思う。
 でもしんどくなりすぎないで、自分を肯定してほしいとも思う。
 
 うむむ。


 <サイトウ>
 

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