17 October 10/15京都嵯峨芸術大学 報告~☆ 先日、ブログでも告知していた、京都嵯峨芸術大学の公開講座の報告をしたいと思います。 サイトウを含め、有志で集った7名で参加してきました。 シンポジウム前に入試課の石場さんに、 大学内の各分野の工房を案内してもらいました。 染色工房 版画、陶芸 彫刻 いやいや、Mさんイグアナに心奪われすぎ! 話聞いてないやん(笑) しかしイグアナとてもリアルでした。 河童との出会いと基礎工房 そして、食堂! なんと特別に無料でご馳走になりました。 最後に、シンポジウムへ参加。 関係者席まで用意していただいていました。ありがたや~ シンポジウムでは、哲学者の鷲田清一さんの講演から始まりました。 次に美術教育について研究されている先生方の発表があり、 最後は自由討論会。 鷲田さんの講演内容など簡単にまとめてご報告。 * * *「アートと大学、アートと社会」 2003年、鷲田さんが1年半越に大掛かりなアートプロジェクトに参加されたとき、 ボランティアスタッフの20歳の女性が、 「正しいと思うことって一人一人違うんですね…」とプロジェクトを終えた感想をもらした。 鷲田さんは、その言葉に衝撃を受けた。 「…そんなことも知らなかったのか…」と。 生きる上で心底よく知っておかなければならない大事な知恵の1つを 結局はそれまでの学校教育では学んできていなかったのだ。 鷲田さん曰く、そのようなプロジェクトに参加する人や美術大学へ行く人の特徴は、 「なにか、社会、生き方、家族、そういったものに納得していない。 自分がここに生きていることにどこか納得がいっていない。 納得していない事に目をそむけない。」ということ。 つまりアーティストは、「自分と世界の齟齬(違和感)を大事にする人」だと考えている。 アーティストに教育を受けた人は、そのアーティストの本気に感染していく。 本気の大人と接した人は、本気の大人に感染していく。 指示がなくてもこだわり、手抜きしない、作業に強度のある人物になっていく。 今市民は、Citizenship→client(クライアント)→claimer(クレーマー)に成り下がっている時代。 アート(もしくはアートを通した教育)は、生活に関わることを政府に任せるのではなく、 自分たちで考えていくというcitizenshipのトレーニングに役立つ。 アートの教育は、新しい社会性つまり、生のフォーマットを書きかえるきっかけとなる。 * * * そんな内容のことを話されていました。 他にも美術教育の現状や歴史を研究されている金子一夫先生の話をはじめ、 非常に興味深い話を聞くことが出来ました。 最後に、金子先生と少しこんなお話しをしました。 「今の子はみんなすごく真面目だから、気をつけないと 言われたことだけしかできない、無私の状態になっちゃう。 優秀と言われてきた子ほど、大学に入って何をしていいか分からなくなる子がいる。」 アスクでは「技法(テクニック)」だけを教えるのではなくて、 「考える力」を生徒に持って欲しいと思っている。 作品にただひとつの解がないことは、 人間や人生に、あるひとつの完璧な解がないように当然なこと。 国語や数学などの分野は試験を点数化しているが、 結局点数だけでは本質への理解や追求度ははかれない。 そういう前提で、アスクに通って課題に向き合うプロセスをまずは大事にしてほしい。 結果はあとからついてくる。 色々と考えさせられるいい時間でした。 参加してくれた皆さんもありがとう。楽しかったです。 ぜひ、コメントに考えや感想をつづってください! 楽しかった!充実の1日☆ <サイトウ> [0回]PR 2011/10/17 (Mon) 18:39 大学のこと Trackback() Comment(14)