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今日もアートスクール

京都アートスクールの4校(京都駅前七条校、京都 北大路駅前校、滋賀 彦根駅前校、NET通信実技センター)の日々を随時更新。
22 November

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19 November

名言好き


 名言・格言が好きなサイトウです。

 推薦入試ラッシュですね。おつかれさまです。
 受験した人はプレッシャーと向き合ってきたかと思います。
 プレッシャーとうまくおつきあいしていけるのって生活する中で大事なことだなと思います。
 プレッシャーから逃げても追われるだけだし、
 プレッシャーがなくなると生きてる実感もなくなる気がします。
 ごまかさず向き合えばなにかいい実感が得られると思います。結果に関わらず。
 
 先日、『磯江毅=グスタボ・イソエ ~マドリード・リアリズムの異才~』
 に行ってきたと報告しました。
 そこで磯江氏の「ことば」があってメモメモ… 血が騒ぎます。
 あとでみたらパンフレットに全部のってたけど。

 
 * * *

 表現するのは自分ではなく、対象物自体であるということです。
 そのものが表現している姿から、どれだけ重要なエレメントを読み取り、
 抽出できるかということなのです。
 角膜に受動的に写る映像を根気よく写す行為ではなく、
 空間と物の存在のなかから摂理を見出す仕事だと思うようになったのです。
 物は見ようとしたときにはじめて見えてくるのです。


 * * *

 近年になってますます考えることの多い「デッサン」の意味は、
 物の成り立ち、仕組みを知ることであり、
 デューラーやレオナル・ド・ダヴィンチの作品に感じる内なる力を表現する
 もっとも基本であると同時に、自然の摂理を引き出す方法でもあると思うのです。


 * * *
 
 写実には、客観性の尊重というルールがあります。
 しかし、作家はそのルールを守りつつ、自身の主観的表現とどのように対応し、
 折り合いをつけてゆくのでしょうか。
 作品の精神性の高さはそんなルールの中に見出す精神の自由さによるものだと思っています。


 * * *

 などなど。崇高だ… 
 (磯江さんの展覧会は言葉よりなにより作品が哲学を物語ってるように思えたからすばらしかった)

 「たしかに!」と思える言葉だったり、
 自分のまだ見ぬ高みへ導いてくれそうな言葉に出会うとほっとします。
 なんか自分のぼんやり考える「理想」に少しかたちを与えてもらえるような。
 今より高い精神の領域へいきたい…みたいな衝動が湧いてきます。


 家にある名言集的な本。迷言集的なのも混じってますが…
 
 

 とくに『ゲーテ格言集』(高橋健二訳 新潮社)が好き。

 ■利己的でない好意的な行いが、最も高い最も美しい利子をもたらす 

 ■素材はだれの前にもころがっている。内容を見いだすのは、それに働きかけようとする者だけだ。
 形式はたいていのものにとって一つの秘密だ
 

 ■われわれは芸術によって最も確実に俗世間を避けることができる。
 同時に芸術によって最も確実に俗世間と結びつくことができる


 ■今後は何らかの芸術あるいは手工芸に留意しないものは不幸であろう。
 知識はこの目まぐるしい世の中ではもはや糧にならない。
 すべてのことに注意しきれないうちに、自分自身を見失ってしまう
 
 
 などなど。
 でも作家や個人の格言は長い文脈と背景から生まれたもの。
 安易に切りとられた「部分」だけで、一喜一憂するのってなんか違うかもと思うようにもなりました。
 やっぱり自分が実感して喜びと反省を得ないと、
 表面的になってしまうよな…と。
 
 ちょいちょい小出しに名言紹介をしていきたいなと思います…にやり
 うっとおしい人にはうっとおしい内容を長々とお送りしました(笑)
 読んでいただいた方ありがとうございます。


 <サイトウ>
 
 

 

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