28 March 京芸描写! と良きスピーチを皆さんへ 先日からブログにアップされている、 彦根、七条教室の私大授業、面白そうですね。 ええなぁ~そんな授業受けれるん… そして、北朝鮮の弾道ミサイル発射が毎回怖いサイトウです。 イージス艦配備… ひゅおおお… 本日北山教室は52名!明日の色彩は58名… ひゅぉぉ~ 模試みたいな人数の集まりっぷり 京芸描写対策クラスは、今年度の京芸入試課題を制作します。 3日間あるうち、1日目は練習で、「軍手のみ」。 2日目と3日目は、実際の京芸入試モチーフ「軍手、ペットボトル、くるみ」を描きました。 みんな頑張ってました。 でも、「軍手」そのものをイメージしちゃわざるを得ないような…とまではまだいってなくて、 「鉛筆の粉」を感じる作品がまだまだ多いなと思いました。 サイトウが、チラッと作品を見させてもらった感想なのですが。 春の作品から、新受験生も新浪人生も驚くほど一年で進化するから、 自分の今の作品大事に保管して、半年後、1年後に比べてほしいなと思います。 さて、今日はいいお話を教えてもらったので、ご紹介。 立教大学総長 吉岡 知哉の卒業式(学位授与式)でのスピーチ。 大学は職業訓練校じゃない…ということが、 素敵に言い表されていると思いました。* * * 現実の社会は、歴史や伝統、あるいはそのときどきの必要や利益によって組み立てられています。 日常を生きていく時に、日常世界の諸要素や社会の構造について、 各自が深く考えることはありません。 考えなくても十分生きていくことができるからです。 あるいは、日常性というものをその根拠にまで立ち戻って考えてしまうと、 日常が日常ではなくなってしまうからだ、 と言ったほうがよいかもしれません。 しかし、マックス・ウェーバーが指摘したように、 社会的な諸制度は次第に硬直化し自己目的化していきます。 人間社会が健全に機能し存続するためには、 既存の価値や疑われることのない諸前提を根本から考え直し、 社会を再度価値づけし直す機会を持つ必要があります。 大学は、そのために人間社会が自らの中に埋め込んだ、 自らとは異質な制度だと言うことができるのではないでしょうか。 大学はあらゆる前提を疑い、知力の及ぶ限り考える、 ということにおいて、人間社会からその存在を認知されてきたのです。 (中略) 「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を 疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為です。 皆さんの中には、これから社会に出ていく人も、 大学院生として後期課程に進む人も、 また、大学や研究所で研究者としての歩みを続ける人もおられることでしょう。 社会人として働きながら本学に通い、 これから次のステージを目指している人もたくさんいるに違いありません。皆さんがどのような途に進まれるにしても、ひとつ確実なことがあります。 それは皆さんが、「徹底的に考える」という営為において、 自分が社会的な「異物」であることを選び取った存在だということです。 どうか、「徹底的に考える」という営みをこれからも続けてください。 そして、同時代との齟齬を大切にしてください。 全文はこちらから。 * * * 去年のこれもよかったなぁ~ 時間あったら是非みてください (長いよ!でもいいよ!) ⇒立教新座中学・高等学校 校長 渡辺氏のスピーチ 明日、京芸色彩、北山でがんばります! サイトウでした。 [0回]PR 2012/03/28 (Wed) 21:19 アスクでのこと Comment(0)