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夜道で踊る自分を、遠くから、思いがけず見てしまったような気持ちになった。
三月には、自分自身を振りかえる機会が多々ある。
少しずつ暖かくなっていく中で春を思いだして、去年の四月と今現在とがつながって、現実にはありえないひとつの環っかができあがるような感覚になる。その環っかの継ぎ目にあたる三月に、今の自分とは少し違う一年前の自分を強く感じる。
そんなことを考えながら歩いていたら、曲がり角をひとつ間違えたような気がしてきた。トカゲの勘違いをしたばかりの自分が頼りなく思えて引きかえしてみれば、それこそが間違いで、やっぱりもうひとつ先が正しい曲がり角だった。すこし遠回りをしながら、一年を思いだして、ゆっくりと歩いて帰った。
一日一日の中で成長を実感するのはなかなか難しいけれど、一年を思うと確かに積みかさなったものを感じることができた。
急に何かができるようになることはないから、少しずつ自分に必要なことを積みかさねていくのだけど、無意識に積みかさなっていたものによって、ここぞというときに前進することもあるから、自分ではその必要性や意味を把握できていないことにも、精一杯に取りくみたいと思う。意識を持って積みかさねているだけでは不安で、何かそのほかにもきっと自分を成長させるものが隠れているはずだと信じて、それを取りこぼしてしまわないように、油断せずに過ごしたい。
そういった姿勢は、生徒から学んだことだと思う。
生徒が制作している姿と似ている。
何かに取り組んでいくときには、確実に「なんかわからんもん」もその中に含まれているから、だからこそ「わかること」を増やしながら、がむしゃらに取り組んで、いつのまにか「なんかわからんもん」をも掴んでしまうような、そんなイメージ。
制作した作品には、それ以前に制作した作品の経験や、制作以外での経験が含まれるから、作品や制作過程を見ていると、時間というものや積みかさねるということをとても強く考えさせられます。
入試が終わった受験生も、これから試験を受ける受験生も、あと一週間ほどで三学期の授業が終了する基礎生も、少し暖かくなってきたこの季節に一年前を思いだすのかなぁと、考えてみる。ひとつひとつ、一日一日って、とても大切だと感じる。
数年前、自分の履いている靴をモグラとまちがえて滑稽なダンスを踊ったことのある僕は、今晩、木の枝をトカゲと見まちがえてつたないダンスを踊った。少しずつ失敗の数を減らせていければと思う。
サカグチ@帰り道