17 October あたまの向き ある日、いつものように草津教室の立体駐車場『3-2』番に、車を停めようと思ったら、ほかの車が停まっていました。 今日は誰かが間違えたのだろうと、たかをくくっていたら、次も同じやつが停まっている。 次も次もその次も停まっていて、早一ヶ月。 さすがに業を煮やして、できるだけ不快な表情をつくって大家さんに直訴したらば、 「あんたんとこは『3-2』じゃなくて『2-3』だよ」と面倒くさそうに言われました。 自分が間違えてました。 一年あまりの間。 いままでたまたま『3-2』に契約者がいなかっただけでして。 どこでどうねじれたのか僕の中で『2-3』が『3-2』になっていたのです。 ふつふつ湧き上がる羞恥と憤り。僕は思いました。 数字で『3-2』だ『2-3』だとするから紛らわしいのであって、いっそ『ウサギちゃん』とか『カバくん』とか『クマさん』だとかにすれば間違えようがないのにと、なら僕はたくましくてやさしい『クマさん』がいい! などと強く思いました。 強く思いましたが、いやクマさんとかそういう話ではなくて、思い込みとは恐ろしいという話です。 例えば、なんでもいいから頭に思い浮かんだ「魚の絵」を描いてください。と言われたとします。 ちゃら描きでいいので、描いてみてください。 はい、たぶんほとんどの方の描いた魚は、頭が左に描かれていますよと。 ←こちら七条ST生に描いてみてもらいました。六人中、一人を除いてみんな頭が左。 人間は普段色々な刷り込みにさらされているらしく、で、魚の場合であれば、魚屋の陳列、焼き魚の盛り、図鑑の絵など、お作法として頭が左向きになっている状況に我々は無意識で迎合していて、魚とはそういうものだと、そうでなければいかんと思い込んでいるらしい。 実際の魚は右も向きゃ下も向きゃ場合によっては仰向けにだってなるのにもかかわらずです。 これはある高校の先生にきいた話です。僕はきいたときゾッとしました。 人間なんてものが生きてる限り、こういった思い込みのアカは次から次へどんどんとこびりついてくるものなのでしょう。 しかし、このアカは美術・デザインを志向する者にとって、その面白さを阻害するものだと僕は考えています。 で、このアカをできるだけ落とす、というかアカのつきにくい身体にならんと予防する訓練のひとつが、デッサンだとも思っています。 いま一度。 観察:物事の状態や変化を客観的に注意深くみること 智慧によって対象を正しく見極めること 物事の様相をありのまま、詳しく見極め、そこにある様々な事情を知ること 何らかの目的のために、対象を詳細に見、そこから何かを導き出す行為 「正しく」だとか「客観的に」などのところがしごく重要なところであって、なかなかに難しいことでもあるのですが。 やばいな、いかんな、と思って少し教室に残ってデッサンなど久しぶりに励んだものです。 で、帰るとき、また『3-2』のスイッチを押している自分がいました。 まっこと恐ろしきは思い込み。 はやし [0回]PR 2012/10/17 (Wed) 16:55 アスクでのこと Comment(0)