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今日もアートスクール

京都アートスクールの4校(京都駅前七条校、京都 北大路駅前校、滋賀 彦根駅前校、NET通信実技センター)の日々を随時更新。
22 November

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31 May

植物園実習を終えて。

こんにちは。

実技講師の上杉です。


今週、月・火・水の三日間、北山・七条のSTSP生は合同で植物園実習に取り組みました。


最近のブログでも掲載されていましたが、今年は梅雨入りが例年よりも早く、野外で制作できたのは初日だけ。残り二日間は、雨に降られての屋内制作となりました。

ただ、初日をスケッチのみで終わり、二日間は教室にて制作した、この一連の流れでも、皆にとって、非常に重要な経験になったと思います。


技術は、それ単独では意味を成さないものです。
伝えたい事を伝える為の術として、技術は存在しています。

作品制作のゴールは、作品を通して、観る人に伝えたい事が伝わったか、その一点につきるのではないでしょうか。
伝えたい事を伝える事。
技術は、そのゴールにたどり着く為に使用されるものです。


まず作者自身が、「この作品を通して、伝えたいこと」を、明確に掴み取らなくてはいけない。

目的地が分からない人には、広大な海原をどの方向に、どれくらいの距離を、どのように進んでいったらよいのか、判断できず、途方に暮れると思います。例えどれほど高性能な船に乗っていたとしても。

作品制作に於いても、同じ事が言えます。
何をどのように描き、何をどのように描かないのか。全ては、伝えたい事(主題・テーマ)に向かって舵がきられるのだと思います。


作品制作に於いて、技術がない事と同じくらい、伝えたい事がない事は、致命的であると思います。


「表現力」とは、「上手に描ける技術力」ではなく、「伝えたい事が伝えられる力」を指すのだと、講評を終えて、改めて思いました。


幼い子供が描いた絵や、アウトサイダーアートと呼ばれる、技術を伴わない作品が、時に心のミットに、ストレートに突き刺さる事があるのは、おそらく「伝えたい事の塊」がとても明確で、大きいからであると、思います。


上手い(技術力の高い)作品ではなく、良い(伝わる)作品。講評会にて、そんな事を感じたのはないかと思います。作品制作の動機は、「上手く描こう」の1方向だけでは、成り立たないという事を。



今回の植物園実習における経験が、今後の制作の何かしらに、強く結びつけていって欲しいです。




上杉


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